毎日、目の前のことに一生懸命な女性のみなさま
- 「家事や育児で毎日くったくた・・・」
- 「仕事に追われ毎日楽しくない・・・」
- 「もっと自分だけの時間がほしい・・・」
- 「お金を稼ぎ経済的に自立したい・・・」
- 「未来の自分にもっと自信を持ちたい・・・」
あなたは
こんな風に思っていませんか?
こんにちは!古賀晶子です。
みんなからは
アコちゃん
って呼んでもらってます♪
わたしは今、
「いつかきっと、光がさすときがくる!
みんな、なりたい自分になれる!」
というコンセプトのもと、
予防で不幸になる人を減らしたい、
唯一無二の信頼できる商品でご縁を繋ぎ
多くの人に
未来の自分に自信を持ってほしい
そんな思いで
毎日仕事をしています。
実は私、
高度救命救急センターに
7年間、勤務したことがありまして…
救急っていえば
本当に最後の砦として
人の命に関わる場所。
当時、全力で
医療に取り組んでいました。
そこでわかったのが
”予防”や”未病”という観点が
すっごく大切なんだってこと。
今、多くのご縁をいただき
現在のお仕事をしているのですが、
人にお会いする機会も多く、
毎日がすごく充実しています!
そして、
活動すればするほど
経済的にも自立できるようになる…
そんな感じなんです。
今の状態を一言でいうと、
「未来の自分に自信が持てている!」
という状態。
そんな私ですが、
過去、結構辛い経験を
してきました。
いつ終わるかわからない
地獄のような毎日だったことも・・・
そんな私でも、
今、最高に未来にワクワクしています!
そう、全ては繋がっていたんです!
「未来の自分への自信」へと。
だから、
もし、今この瞬間、
あなたが毎日のお仕事や、
育児や家事などの時間に追われ、
ツラい思いをしているとしても、
私のように、時間とお金を
同時に手に入れられたとしたら・・・
きっと
あなたの心に余裕が生まれ、
あなた自身の未来にも
もっと自信がもてるようになるはず!
だからこそ、
少し聞いてほしいお話があります。
外では一切お話していない
ツラかった過去・・・
それを乗り越え、
充実した毎日を送るためのマインド・・・
これからお話する
「私のプロフィール」
このお話を
お聞きいただければ、
あなたもきっと
「私、いつでも変れるんだ!」
と思えてくるはずです。
幼少期、控え目でいい子な私
今の私って
すごく明るくて積極的に見える
と言われます。
でも、
実は私、幼少のころ
周りの友達から
からかわれていたんです。
ほら、
ちっちゃい子って
大人が言えないような
人の見た目のことでも
何の気なしに、
ズバズバいうじゃないですか?
私、
幼稚園の頃から目が悪くて、
メガネを架けていたんです。
それも、
牛乳瓶の蓋のような眼鏡を。
それで、
まわりの友達から
「メガネ」って
からかわれていたんです。
季節は初夏
幼稚園のプール開きの頃・・・
まだ泳げない子が多い中、
私、絵やバレエ、水泳など
いろんな習い事をしていて
水泳が得意だったんですね。
まだ水深も浅いプール、
みんなが水しぶきを
バシャバシャたてて、はしゃいでいる中、
私は得意のクロールで
みんなの前を
パシャッ、パシャッ、パシャッ・・・
って泳いでいたんです。
そしたら、
いつもはメガネメガネって
私をからかっていた子たちも、
すごーい!
私にも教えて!!!
って言ってきて、
私をからかうことが
なくなったんです。
習い事を
一生懸命やってきた
甲斐があったのかな。
自分の努力次第で、
どんな状況からでも
自分を変えることができる!
という体験をした瞬間でした。
私、その頃
佐賀県に住んでいて、
私の町内では
幼稚園、小学校、中学校が
一校しかなくって
幼稚園の同級生と
ずっと一緒の学校に通うんですね。
だから、
幼稚園の頃のイメージが
ずっとついてきちゃうんです。
今でこそ
明るく積極的なところが
取り柄の私も
幼少の頃は
教室の端っこで
大人しくしてる感じでした。
そうですね・・・
ちびまる子ちゃんでいったら、
「たまちゃん」みたいって
良く言われてたかな。
メガネをかけてて
まじめで優しくて大人しい
端っこで大人しく
ニコニコしている感じでした。
大人になって再会した
同級生たちとの間では、
「たまちゃん」に似ていたよね?
と、笑い話になっています。
高校受験
中学3年生
大人しかった私にも転機が…
得意の水泳を活かして
水泳部のキャプテンをしたり、
生徒会の一員に
選ばれたりしたんです。
大人しかったんだけど、
私のまじめキャラが
みんなに伝わったのかな?
少しずつ
自信がついてきたなって
思えてきたんです。
ところが・・・
部活も卒業し、
高校受験のシーズン
私、とある高校を
志望してたんですけど、
その高校、
ちょっといわくがありまして・・・
私の兄が受験して
落ちた高校だったんです。
ある日の進路相談で
先生がこんな風に言ったんです。
「お前はお兄さんの二の舞に
なるつもりか!?
志望校、もっと安全パイを
目指したらどうか?」
と。
その瞬間、
私は何も言えませんでした・・・
なにせ、当時の私にとっては
志望校として目指すには
ギリギリのラインでしたし、
先生も、苦渋の選択で
言ってくれたと思うのですが、
/
せんせ~い
えぇー!そんなこと言わないでよ!
\
って、
当時は叫びたかった(笑)
わたし、それまでずっと
まじめにしてたんですけど、
高校では、「自由」
を求めたくなっちゃって…
それで、
ハイレベルなんだけど
制服の自由度が高い高校を
志望校にしたんですね、
先生の一言で
撃沈しましたけど(笑)
自分でも、
それはわかっていたんです。
わかっては・・・・
でも、
やっぱりドストレートに
言われると
さすがに、
「ズドンッ」
って、
心に刺さりますよね(笑)
それからは、
先生のありがた~い忠告に従って
志望校を1ランク下げ、
猛勉強ですよ(笑)
「なにくそ~」ってね。
進路相談で言われた
先生の一言が
私の心に
火をつけてくれたんだと思う。
そして、
合格発表の日
無理なく合格できる高校だったけど、
実は、ちょっとドキドキしてました。
私が受験した高校って、
選抜クラスっていうのが
8クラス中、2クラスあったんです。
私、先生の一言が悔しくって
猛勉強してきたんですけど、
とはいえ、
さすがに選抜クラスに入れるなんて
思っていなかったんですね。
結果はというと・・・
無事、合格!
しかも、2クラスしかない
選抜クラスに入っていました!
やった!
やればできるじゃん!
そこから私の高校生活が
始まっていくのでした。
新たな挑戦、充実した高校生活
高校では選抜クラス、
そんな
高校生活と同時にハマったのが
弓道だったんです。
弓道部って
結構人数も多くて
レギュラーになるのって
すっごく難しかったんです。
それでも、
早く上手になりたい!
と楽しみながら、
早朝から夜遅くまで、
練習に明け暮れていました。
そしたらなんと、
3年生の先輩方を押して
1年生の私をレギュラーに
抜擢してくださって。
そんな経験から、
やればできる!
っていう自信が
ちょっとずつついてきて、
だったら、
やろうと決めたことに対し
やらない理由はないよな
っていう風になってきたんですね。
なんだか、
ちょっとストイックな感じかも
しれませんが(笑)
こんな風にいうと
私、なんでもがんばれる人
みたいな感じかもしれませんが、
みなさんに
告白しないといけないことが
あるんです。
それは・・・
/
私、赤点コレクターだったんです!
\
・ ・ ・
赤点・・・
アカテン・・・
ちょっと、ハズカシイですが、
弓道ばっかりしてきた私は、
正直、
勉強をあまりしなかったんです。
弓道では
努力の甲斐がありレギュラー
勉強では
赤点コレクター
もう、
選抜クラスってのが
すっごく窮屈に
感じていました。
そんなある日、先生から
母親といっしょに
呼び出しをくらいまして、
先生、お母さん、私…
みんなが
テーブルに着席したところで、
先生が単刀直入に話を始めたんです。
「晶子さん、最近赤点ばっかりで
勉強が疎かになりすぎています。
選抜クラスなんだし、
弓道を辞めて、もっと勉強に
打ち込んだほうがいいと思う」
と。
えっ!?
いきなり弓道を辞めろなんて・・・
ピーンと張りつめた空気感。
お母さんは、
「そうなんですか!?」
と驚き、
私はというと
「弓道やめるなんて
絶対にイヤです!!!」
って、
泣きそうな気持ちで
精一杯伝えました。
1年生の選抜クラスでは
ギリギリの位置で
頑張っていたんですけど、
/
二年生から一般クラスに落ちました!
\
って、
声を大にしていうことでも
ないですよね(笑)
じゃあ、
勉強はそれから頑張ったのか
っていうと、
やっぱり弓道に明け暮れて、
要は、高校生の頃って
ほとんど勉強しなかったんです。
そんな私に
更なる試練が訪れます。
それが、
大学受験
だったんです。
私が看護師を目指したきっかけ
弓道に明け暮れ
高校二年生にして
選抜から一般クラスに転落(笑)
そのとき、理系と文系、
どちらかを選ばないと
いけなかったんですね。
私、
実家が開業医だったので、
医療系に進むんでしょ
って、
勝手に周りが決めちゃってる
雰囲気があったんです(笑)
私、それにも
反発したかったんですけど
とりあえず、
理系に行けば医療系にも進めるし、
それに反発して
自分の目指したいところにも
いけるのかも・・・
それで理系を選んだんです。
理系って、女子少なめで、
そこにくる女子たちって、
みんな、看護師になりたい!
って人ばかりだったんです。
看護師って仕事に
キラキラとした憧れをもってて
こういう風になりたいから頑張ろう!
って子ばかりだったんですね。
なんだろうな・・・
こんな若いころから
将来に向かい目がキラキラ輝く女子・・・
こんな子たちと
一緒に働きたいな…
きっと、
楽しいんだろうな
って思って。
それで私、
看護師になろう!
って決意したんです。
でも、いざ大学へ
ってなったとき、
「あれ、
私、看護師になろう!
って決意したのはいいけど、
部活ばっかりやってて
頭悪くて行く場所がない~っ!」
って、この時ばかりは
めちゃくちゃ焦りました(笑)
それで、
部活を卒業する3年の夏から
怒涛の合格プランを練って、
生物、英語、数学
この3教科に絞って
そりゃもう必死に
勉強しまくったんですよ。
看護師になる夢を
叶えるために、
絶対受かるんだってね。
そしたら、
弓道漬けの要因にもなった
やろうと決めたことに対し、
やらない理由はない!
っていう、
私のストイックさが
今回もいい方向に
働いてくれたみたいで、
どこでも良いから
合格したい!
ってレベルの私が、
なんと、
無事、
看護学部のある大学に
合格することができました!
先生にも両親にも
二浪覚悟と言われていた私は、
「やったね!」
と心の中で
小さなガッツポーズ!
やっと、
赤点コレクターっていう
汚名も返上できたかしら?
という気持ちでした。
その流れを受けて
実家を飛び出して
初めて見知らぬ地での
一人暮らし。
今だから言えるけど、
実家を飛び出せることが
嬉しい…はずでした。
でも、実際は
最初なかなか
友達ができなくって
ちょっとだけ
ホームシックになっちゃった
っていうのは内緒です♪
就活の原動力
大学生活、
最初こそ
不安に思ったけど、
慣れてしまえば
住めば都♪
ストイックさが幸いし
大学の成績も
ほとんどA判定でした!
友達と遊んだり、
バイトしたり、
実習リーダーをしたり、
ほんっとに
大学生活、充実してました!
でも、私、
ずっと順風満帆って
わけではないんです。
そんな私も
いよいよ社会に羽ばたく時!
そう、
就職活動。
私、高校二年生の時に
周りのキラキラ女子に
憧れて
看護師になる!
って決めたんですが、
実は、もう一つ、
看護師になろうって思った
きっかけがありまして…
私が中学の頃に
流行ってた
「医療系ドラマ」
にすっごく憧れてたんです。
最近でいうと
「TOKYO MER
~走る緊急救命室~」
を想像していただくと
わかりやすいかも。
医療系のドラマって
専門性が高いので、
医療監修というのが
必要になるのですが、
当時、そのドラマの
医療監修をしてた病院が
東京にあったんです。
私自身、
その病院が東京にあることも
知らなかったのですが、
「その病院に行く!」
と決めていました。
でも、両親からは
大学卒業したら、
佐賀には…
九州には帰ってきなさい、
と、強く言われていたんです。
だから、
「その病院、
東京だから仕方ないなぁ^^;」
って思いながら、
就職試験では
福岡とかの病院を受けてたんです。
私って
やろうと決めたことに対し、
やらない理由はない!
って思ってるから、
福岡の病院を受けたら、
きっと普通に受かるんだろうな・・・
と思っていたんです。
ところが・・・
ぜんっぜん受かんない!
ビックリするくらい
全部落ちちゃって・・・(笑)
そして、就活も終わりに近づき、
受験できる病院も少なくなるなか、
福岡で受験できる病院が一つ
あったんです。
それが何と、
例の医療監修をしていた
東京の病院だったのですが、
その病院、福岡受験ができる
ということがわかったんです!
えっ、福岡受験!?
私、絶対導かれてる!
今までの就活で
全部落ちまくった理由を
超前向きに捉え、
これは、
両親を説得するしかない!
と思って、
すぐさま両親への
説得を開始!
そしたら、
あんなに頑固だった両親も
最後は折れてくれて。
あとは、
私が福岡受験で成果を出すしかない!
受かるのか?
受からないのか?
・ ・ ・
・ ・ ・
結果は・・・
「ゴ ウ カ ク !」
やった!
やったよぉ~!
これで、
憧れてた東京の病院で
看護師として働ける!
きっと、
例の医療系ドラマ、
最近でいうところの
「TOKYO MER
~走る緊急救命室~」
に登場するような
やり手の先生たちと
私、かっこよく
仕事をしてるんだろうなぁ…
そんな風に思っていました。
この時までは・・・
思い続ければ叶う
憧れの東京の病院。
医療系ドラマを
監修しただけあって、
救命が超有名なんです。
そして、
私が入ったその病院、
1年目から
高度救命救急センターに配属されるのは
新卒100人中、9人だけの超狭き門。
新人研修も終わり、
いよいよ配属発表のとき・・・
期待と不安が交差する
張りつめた空気
「それでは、
高度救命救急センターへ
配属される者を発表する!」
いよいよ、
選ばれし9名の名前が
呼ばれます。
「・・・どうか、私、
古賀晶子が呼ばれますように・・・」
・
・
・
「古賀 晶子」
・
・
・
私の名前を呼ばれた瞬間、
「えぇぇぇ~、私…呼ばれた?
信じられない!!!」
と、心臓がバクバクしだして
今にも飛び出しそうな程でした。
そして、
少し落ち着いてきたとき、
「やった、
私、救急センターに
配属された!!!」
と、心の中で
小さくガッツポーズ!
その時の私は、
まるで宙に浮いているような
フワフワとした感覚を感じると同時に、
「本気で思い続けたら叶うんだ」
って思えるようになってきました。
高度救命救急センター ホンモノの修羅場
高度救命救急センターに
初出勤する日って
私、半ば浮かれ気分に
なっていたんです。
ほんと、
ドラマのイメージしかなくって
やり手の先生とデキる看護師が
テキパキ、キラキラしている…
そんな感じしかなくって(笑)
でも、
実際は、ほんとに修羅場でした。
私、今まで努力で
何とかしてきたんですけど、
裏を返すと、
最初っからバリバリできる方じゃあ
ないんです。
でも、そこは
最初っから重症の患者さんを
看ないといけない場所。
高度救命救急センターだから、
当たり前って言えば
当たり前なんだけど、
実際に現場に出てみると、
ほんと、すっごく怖かったんです。
ドラマで見るのと、
自分が現場に出るのとでは全然違う。
それに、
私が1年目の頃って、
先輩たちの代も
すっごく厳しくって・・・
できない私は
ゴミ扱いされていました。
あんた、そんなことも
わかんないの?
早くして!
命かかってんだから!
ボーっと突っ立ってんじゃないよ!
極めつけは、
あんたなんて、
掃除のおばちゃん以下だよ!
って言われて。
ここで少しだけ
補足させてください。
先輩は掃除のおばちゃんを
見下しているのではなく、
むしろ、その逆だったんです。
掃除のおばちゃんは、
常に患者さんが
気持ちよく安全に過ごせるように、
病室、廊下、お手洗い・・・
病棟内を常に清潔に保ち
患者さんに貢献されている。
それに対し、
私は何もできず、
突っ立ってるだけ・・・
そんなんじゃ、
お給料をもらう資格はない!
ということだったんです。
ちなみに、ドラマでは
医師が看護師に指示を出して動く
というイメージが
あると思うのですが、
実際の救急の現場では
一刻を争う状況なので、
患者さんの症状を
看護師が判断して、
医師に指示される前に
薬剤や器械の準備をしないと
いけないんです。
新卒1年目で
自分の判断に自信がない私は、
思考停止状態で動けなくなり…
そんな私をみた
医師や看護師の先輩方から
とにかく
罵倒、罵倒、罵倒。
もう、
毎日が罵倒の嵐って感じで。
ただ、
先輩の医師や看護師が
そうなってしまうのは、
目の前の患者さんを助けたい・・・
という強い思い、
その一心からなので、
思考停止で動けない私が
罵倒されるのも
仕方なかったんです。
実際に配属される前は
カッコよくキラキラしている
イメージだったんですが、
そこはズバリ、
一刻を争うがゆえの
罵倒がいきかう
ヤクザのような世界!
やっぱり救命って、
生きるか?死ぬか?
の世界だから・・・
人の命がかかってるから、
悠長なことを言ってられないんです。
新人の私の仕事っぷりをみて、
先輩方、イライラしたんだと思う。
今だから、
それがわかるって感じです。
それくらい、
救命の現場って、
みんな必死だったから。
泣き言とか
弱音を吐いてる間に、
患者さん死んじゃう世界だから。
当時の私は、
もう必死でしたね。
だけど、
私の肌感覚としては、
いつか私も成長して、
今、厳しく言ってくる先輩たちも、
きっとわかってくれるはず!
だから、絶対頑張ろうって
思っていましたね。
自分を責めた出来事
救急の患者さんって、
最初、
初療室(しょりょうしつ)に
搬送されるんです。
そこで緊急の手術や処置、
救急蘇生が行われるんです。
常に現場は騒然…
そのあと、
生きるか死ぬかっていう
状態の患者さんは
ICU(集中治療室)へ運ばれ、
落ち着いてきた患者さんは
HCU(高度治療室)へ
運ばれるんですね。
この、
初療室、ICU、HCUを
ぜーんぶあわせて、
「高度救命救急センター」
って呼ぶんです。
で、私たち看護師は、
月によって、ICUとHCUの
担当が変わるんです。
新卒で配属され2年目の頃
ちょうどその時は
リーダーの先輩たち8人と一緒に
HCUを担当してたんです。
その日の夕方、
そのHCUの患者さんのお一人で
ちょっと呼吸が不安定かも・・・
って方がいらっしゃったんです。
ちなみに、そのHCUは
ちょっと大変な病室で、
ライン類(※)の引き抜きとかを
やっちゃう患者さんが多くて、
ほんとに目が離せない
って感じだったんですね。
(※)輸血や薬剤の投与などを目的とする
医療用チューブなどのこと
その時、
救急車のサイレンとともに、
救急搬送された患者さんが!
先輩は救急搬送の
処置のため、
初療室に猛ダッシュで
向かいます。
私はHCUの中の一部屋を
一人で看ないといけなくなって、
先程の呼吸が少し不安定な方を
ずっと見守っていたんです。
そしたら・・・
なんだか呼吸が怪しい・・・
と気づき、処置を初めて数分で
その方の容体が急変し、
心停止してしまったんです。
「やばい・・・!」
私は救急対応をしながら、
急いでコードブルー(※)をかけます!
(※)患者さんの容態急変など
緊急事態が発生した場合に、
医師を現場に集めるための
救急コールのこと
駆けつけた先生が
私に一言、
「どうした!?」
と聞いてきます。
私は急いで
「あっ、あの、
呼吸が怪しかったんですが
容体が急変して・・・
心停止してしまって・・・」
騒然とする病室・・・
先生も急いで
蘇生処置を行ってくれて
その方は、なんとか一命を
取り留めたんですね。
ところが・・・・
その後の検査で、
脳の状態などから
その方の意識が戻ることはない…
ということが判明したんです。
・ ・ ・
・ ・ ・
「もうちょっと自分が
早く気付くことが出来れば・・・
なんてダメなんだ、自分は・・・」
頭の中で、自分を責め続ける・・・
そして、
人の命を預かることの重大さを
感覚として
ズンッと重たく感じたんです。
ずっと自分を責めている中、
その患者さんのご家族が来院され、
先生からご家族への
インフォームドコンセントに
立ち会わせてもらったとき、
先生からご家族へ
「担当の看護師さんが
早く気付いてくれたから、
呼吸を取り戻すことが
できたんです。」
と説明してくださったんです。
先生って、看護師に対し
上から目線の方が多い
というイメージだったんですが、
このときの先生の一言で
私、すっごく救われたんです。
これからも
頑張っていこうって
思えた瞬間でした。
いつもありがとね 私の支えとなった言葉
救急センターに
配属されて3年目。
ありがたい教育的指導を
いっぱいしてくださった先輩が
別病棟に異動になったんです。
実は以前、
その先輩からは、
「あんたの仕事っぷり、
見てられないね!
私のおばあちゃんが
入院したら、
絶対あんたには
見てほしくない!」
って、
言われちゃってたんです。
未熟な私に対して
当然といえば当然の言われようです。
そしたらある日、
なんと、
その先輩のおばあちゃんが
入院してこられて、
しかも、
私が担当することに
なったんです!
最初、
「えっ、私が担当するの!?
絶対見てほしくないって
言われてるんですけど・・・」
って心の中で叫んだんですが、
そんな声は、誰にも届きません。
戦々恐々としながら、
先輩のおばあちゃんを
担当をさせていただいたんです。
正直、相当怖かったです。
「あんた、何やってんの!」
って怒られるんじゃないかって。
そんな気持ちが
頭の隅にあったものの、
先輩のおばあちゃんに対し
看護師として誠心誠意、
看病させていただきました。
そしたらある日
その先輩が、
おばあちゃんの
お見舞いに来たんですよ。
私、
もう心臓がバックバク。
私が搬送されるんじゃ
ないかってくらいに。
しばらくして
どうやら先輩のお見舞いが
終わったらしく、
先輩 「古賀ちゃん」
私 「はっ、はい・・・」
先輩 「おばあちゃん、
古賀ちゃんに看てもらって
ほんっとによかった。
ほんとにいつも
ありがとね。」
そんな風に
先輩に言ってもらえて、
やっぱり人って成長できるし、
ちゃんとそれを
認めてもらえるんだ!
改めて、そう確信した瞬間でした!
ゴールイン!
高度救命救急センター
ドラマで想像していた
世界とのギャップに悩み、
先輩からの
ありがたい教育的指導や
何度もの挫折を繰り返し、
毎日泣いて、
なんとか・・・
なんとかね、
仕事にも
馴染んできたかなって頃、
プライベートでも
変化が訪れたんです。
なんだと思います?
・ ・ ・
・ ・ ・
じゃあ、
答え合わせ!
せーの、
「結婚!」
って、
このタイトルみたら
みんなそう思いますよね。
そうなんです、
私、まさかこの人と!?
って思っていたカレと
結婚することになったんです。
ほんと、みーんなに
すっごくお祝いしてもらって、
幸せだったなぁ・・・
そう、
幸せ ”だった” んです・・・
結婚してから数か月間は(笑)
ここから先の話は、
ちょっとヤバいので、
これから先で聞いたことは
絶対誰にも言いません・・・
という人だけ
聞いていただければと思います。
幸せにの先にあったもの
結婚式から
数ヶ月後のある日、
救急センターから
帰宅後、
疲れを癒すように、
お風呂に入っていたんです。
そしたら、
いきなり彼が
「早く上がってきて!」
って叫んできたのです。
それで、
私も急いで
お風呂からあがって、
ふと彼を見ると
なんと、
びっくりする光景が・・・
・ ・ ・
えっ、
土下座って、
なにしてんの?
このとき、
私の頭の中はフル回転して
「あ~、こりゃ、
浮気でもされたかな・・・」
って思ったんです。
ところが、
浮気じゃなかったんです。
彼が、
今何が起きているのか、
目の前で
しどろもどろになりながら
説明している。
どうやら、私の後輩の子と
トラブルになったみたいで…
一歩間違えば
警察沙汰になるレベルのことを
彼はしでかしたらしい。
(詳しく書けなくてスミマセン!)
私がすっごく可愛がってる
後輩の子だっていうのに・・・
私 「えっ、ちょっと意味が
わからないんだけど・・・」
彼 「その子には、
このことを黙っていてくれって
頼んだんだけど、
ちゃんと、
先輩(私のこと)だけには
この話をしてくださいって
いわれて、
それで今、
その話をしているんだ・・・」
その後輩の子に
直接的に危害を加えたわけでは
ないのですが、
普通、こんなことをされたら
かなり困惑すると思う。
私、その子への罪悪感と
早く謝りたいって思いがでてきて、
すぐさま電話したんです。
「本当にごめんね!!!」
って。
私自身の仕事もどうしたらいいものか、
ほんとに訳も分からない状況の中、
私、その日の翌日も出勤だったんです。
勤務中、
気が気でなかったところに、
師長から
「古賀ちゃん、大変だったね・・・
よく、頑張ったね・・・」
というねぎらいの言葉をかけてもらい、
思わず号泣しちゃった私。
どうやら、後輩の子が
師長に相談したようです。
後輩の子も
「古賀さんに非はないから、
辞めさせないでください!」
って言ってくれて、
師長も
「古賀ちゃんが頑張れそうなら、
続けてほしい!」
って言ってくださったんです。
もう、
私、後輩の子にも
師長にも、
頭上がらないから(笑)
みんなが私のこと、
すっごく守ってくれたから、
むしろ、
その人たちのためにも、
今の仕事、
必死でやらなきゃって
責任感もでてきて、
みんなに
支えてもらいながら、
病院でも
トップリーダークラスに
なって、
任せてもらえることも
すっごく増えてきて。
だから、仕事自体は
すっごく充実していました。
ってなんか、
変な感じですよね(笑)
普通じゃない
結婚式から数ヶ月後、
幸せまっただ中に
いる予定だった私。
現実は
とんでもない方向に
シフトし、
その事件以来、
新婚とはほど遠い生活を
送ることになったんです。
実は
彼と結婚したとき、
彼自身、
目指したいものがあって
彼は派遣に近い
勤務形態だったんですね。
私も彼のこと、
応援したいなって
思っていたんだけど
そのさなか、例の事件が
勃発してしまったんです。
それからは、
結婚はしているものの
彼とは別々に
生活することにしました。
簡単にいうと、
別居ってことですね(笑)
彼と会うのは、
彼の実家でご両親と
一緒のときだけ。
その頃はまだ、
結婚生活、何とか頑張ろう
って思ってた。
だけど、やっぱ、
普通じゃないですよね?
新婚数ヶ月で別居なんて…
ほんと、新婚ホヤホヤからの
トホホ~って感じです・・・
おばあちゃん
ちょっとだけ
私が幼いころの
話をしていいですか?
幼少のころ、
私のお母さんって
仕事が忙しかったみたいで
わたしたち兄妹は
ずっと祖父母に
預けられていたんです。
そんな影響もあって、
わたし、
おばあちゃん子なんですね。
おばあちゃんのこと、
大好き、LOVEって感じです。
今でも
おばあちゃんの話をすると、
会いたくなって、
涙が止まらなくなるんです。
ほんと、
すっごく偉大な
おばあちゃんでしたね。
おばあちゃんは、
知ってる人たちみんなから
愛されていましたね。
ほんとうに
みんなを笑わせるし、
幸せにしてくれるんです。
まわりを
パッと、明るくさせる人、
っていうのかな。
おばあちゃんのまわりは
いつもにぎやかで、
みんなが笑顔でしたね。
おばあちゃん、
よくカラオケにいってて、
私も一緒に
連れて行ってもらったんです。
そしたら、
周りの大人たちが、
みんな楽しそうに
してるんですよ〜。
おばあちゃん、
いろんな人に囲まれて
笑っていて・・・
幼心に
「大人って
楽しんだろうな!」
って思っていました。
普通、逆ですよね、
大人って大変そうって(笑)
それに、
おばあちゃん、
芸術肌で、
絵も上手で、
字もうまかったし、
人との一期一会を
大切にしていて、
よく手紙とかを
書いていましたね。
おばちゃんのこと
思い出したら、
また会いたくなっちゃった(涙)
ほんとに偉大な
おばあちゃんでしたね。
今でも尊敬してるし、
大好き、LOVEって感じです。
決断
私の大好きな
おばあちゃん。
彼が事件を起こし
彼と別居生活を送る中、
おばあちゃんも
入院することに・・・。
そんな連絡が
地元、佐賀からあったんです。
もしかしたら、
おばあちゃん、
もう長くは生きられないかも・・・
そんな状況でした。
そんな状況にも
かかわらず、
おばあちゃん、
入院するとき
周りの先生とか
看護師さんを
笑わせていたそうです。
そんな時、
普通だったら
暗く、沈んでしまうような心境に
なると思うのですが、
おばあちゃんは
きっと違ったんだと思います。
あかるく、かるく、あたたかく、
まわりのみんなが
元気になるように
振舞っていたんだと思うんです。
ほんっと尊敬しますね。
で、
おばあちゃん子の私は、
いてもたっても
いられなくなって、
2~3日勤務したら、
その足で東京から佐賀に飛んで、
2~3日おばあちゃんと
一緒に過ごして東京に戻る。
そんな生活をしていたんです。
もう、この際、
旅費とか関係ない。
大切な人との時間が
どれだけ大切なのか。
この仕事を通じて、
肌感覚でわかっていました。
大切な人の大切な瞬間に
たずさわれる自分でありたい!
そう、強く思ったんです。
看護師の仕事は順調。
やりがいもある。
人のお役にたてて
すっごく充実している。
でも、
このままだと
大切な人の大切な瞬間に
立ち会えないかもしれない・・・
私の中で
そんな思いが交錯していました。
おばあちゃん・・・!
私は、勤めている病院を辞め、
地元に戻る決断をしたんです。
旅立ち
病院を辞める決断をした後の、
最後の夜勤の日。
「この夜勤がおわったら、
おばあちゃんのところに
帰るからね・・・
もうちょっとだから、
待っててね、おばあちゃん」
そんな風に
心で呟いていました。
私の中で、
まだ、おばあちゃんに会える。
大丈夫だろう。
そんな思いでいたんです。
その時、
ピコン・・・
とLINEの通知が。
何だろう・・・!?
それは、
孫のグループLINE
だったんです。
「お花、どうする・・・?」
!?
その時、私は察知しました・・・。
「・・・
間に合わなかったんだ・・・」
明け方、泣きながら
「すいません、
これから佐賀に帰ります・・・」
そう伝えて、
おばあちゃんに会いに行ったんです。
お通夜、お葬式・・・
本当に大切な人の
大切な瞬間、
そばにいたかったな・・・
そんな自分になりたいな、
そう、強く思いました。
卒業
その後、
地元の佐賀に戻った私。
そのころの
彼の状況はというと、
目指していた
医学部への編入試験に見事合格!
私も、そんな彼を応援したい!
そんな気持ちでいたんです。
それに、
彼がしっかり頑張って、
ちゃんと更生してくれることが、
みんなへの恩返しにもなる・・・
そう思って
私も頑張ってきたんです。
別居していたとはいえ、
彼を応援したい・・・
そんな気持ちが強かったんです。
それで、金銭的な面でも
彼を応援したくって、
私も何か、始めてみよう!
ってなったんです。
私、ずっと看護師を
してきたじゃないですか?
だから、今からするお仕事も
何かしら健康に携わることが
できたらいいな・・・
と思っていたんです。
そんなときにはじめたのが
今のお仕事なんですね。
そうやって
少しでも彼のことを
応援できればって
思ってたんですね。
で、
彼はというと、
目指していた
医学部への編入試験に
無事に合格できて、
その後
見習いみたいな生活が
数年間続くのですが、
それ自体、彼にとっては
結構なストレスだったようです。
私も最初、
佐賀と東京を往復する生活でも
なんとか彼を応援したい・・・
そんな風に思っていたんですが、
だんだんと
彼のストレスが溜まっていき、
彼が実家のご両親に
すっごく八つ当たりするように
なってきたんですね。
せっかく私が
東京の彼の実家にいっても
彼がご両親に八つ当たりする姿を
まじまじと見せつけられて・・・
なんだか
彼に会うのが
だんだん辛くなって
きたんです。
そんなある日、
私が佐賀の実家にいるとき、
トゥルルルル・・・
一本の電話が。
・ ・ ・
彼のお母様からでした。
「そっちにいるときに
ごめんなさいね。
息子がちょっとヤバいから
こっちに来てくれないかしら?」
夕方はとっくに回った時間。
飛んでいけば
行けないこともないけど・・・
でも・・・
私は深呼吸して
「あの・・・
今日はもう遅いので、
明日行きます!」
とだけ伝えたんです。
でも、電話は切らずに、
そのまま急いで二階に上がって・・・
そのとき、
お母さんが部屋に入って
来てくれて、
なぜか私、
スマホをスピーカーモードに
変えたんです。
私のスマホから
私を責め立てる
彼の声が響き渡る・・・
私、彼に
何も言い返せなくて。
そんな
困り果てた私を見て
お母さんが一言、
「一回、電話切りなさい」
と、私を諭してくれたんです。
スマホの終了ボタンを
そっと押すと、
それまで怒号が飛んでいた
部屋の空気が一変、
母と私、
二人だけの静かな時間が
蘇ってきたんです。
私を見つめる母。
「結婚ってね、
幸せになるために
するものだから・・・
この状況をね、
あなたが一生、
背負い続けるのかと思うと、
お母さん、
すっごく心苦しいし・・・
・ ・ ・
もう、頑張んなくって
いいんじゃない?」
お母さんのその言葉が
すーっと私の中に
沁みわたってきて、
「もう、頑張らなくって
いいんだ・・・!」
って、肩の荷が
スッと落ちたんです。
その瞬間ですかね、
離婚
を決意したのは。
彼との結婚生活、
5年間、頑張った。
よく頑張ったよ、私。
母の一言で、
ずっと暗闇の中を
歩いていた私に
一本の光が
差し込んできました!
明けない夜はない!
いつかは絶対
光がさすときが来る!
そうやって
私の結婚生活は
終わりを告げたんです。
私の人生で
最も苦しかった時期。
だけど、
いろんな人から
最も助けてもらった時期。
こんな経験を
してきたものだから、
ちょっとやそっとの
ことでは、
全然ツライって
思わないんですよ(笑)
だから、結婚生活、
すっごくツラかったけど、
今の自分があるのは
そんな経験があったからかな、
とも思ってるんです。
それに、人って
いい面と悪い面って
両方もってるじゃないですか?
彼にもいい面はあるんです。
それに、彼のご両親も
すっごく私のことを守ってくださったし、
みんな、
本当はいい人たちだって思うんです。
彼も、彼のご両親も
私に関わってくれた人みんな、
本当に幸せになってほしいな
って思うんです。
本来の輝きを
離婚を決意し、
形式上、結婚生活にも
終止符が打たれた私。
それと同時に、
私は私を生きていいんだ!
という
光の道筋も見えてくるように
なってきました。
彼を応援しようと
はじめたお仕事は、
みんなの心と身体が
健康になるための
サプリやスキンケア商品などを
本当に必要な方にお届けする
というもの。
そして、私のお仕事を通じて
明るく元気になる人をもっと増やせる!
本気でそう思っているんです。
私、看護師をやっていた時、
ずっと思っていたことがあるんです。
患者さんが、
救急に運ばれてきたときのこと。
当時は東京だったので、
病気で重症の方もいれば、
お薬の服用などで
自ら命を絶とうとされる方もいて、
病気の方は
ほんとに助かりたいって
思っているのに
亡くなる方がいる一方、
自ら命を絶とうと
される方の中には、
一命を取り留める方も
いたりして、
「どうして助けたの?」
と言われることもあって・・・
命って何だろう…
って考えていたんです。
救急って、
本当に人生の末端を
看る場所なんだけど、
病気で重症になる人も、
自ら命を絶とうと
自分を追い詰めてしまう人も、
なにか、もっと手前で
できることがあるんじゃないかな
って思ってたんです。
人って
病気になった時にも
その人自身に
病を治すために
戦っていく力があるかどうか
っていうのが
すっごく大切なんですね。
病を治すために
戦っていく力のありなしで
回復できる人と
そうでない人に
分かれてくるんです。
だから、
病気になる前の健康状態、
”予防”、”未病” という観点
つまり、その人本来の力が
すっごく大事ってことなんです。
私は今、お仕事を通じて、
本当に必要な方に、
その人本来の力を
取り戻すための商品を
お届けできる立場にあります。
7年間、
生死の境をさまよう現場を
見てきた私からしても、
私がお届けできる
サプリやスキンケア商品は、
医療に携わる人も納得する
根拠のある商品なんです。
原料レベルから
徹底的にこだわり抜いた商品たち。
エイジングケアの
リーディングカンパニーが
研究開発しているこれらの商品は
ノーベル生理学・医学賞を
10名も輩出している研究所の
試験済原料を使用しているんです。
だから、
私がお届けする商品を通じ、
全ての人に世界最高水準の研究成果を
提供することができるんです。
詳細は
長くなるので割愛しますが、
長年救急医療に
携わってきた身の私からしても、
すっごくいいものだってことを
自信をもってお勧めできます。
コロナ禍の今は特に、
医療関係者の方って
すっごく頑張っていらっしゃるんです。
そんな中、
治療の甲斐あって、
一度、快方に向かった患者さんが
その人自身の戦闘力、
つまり、病を治すために
戦っていく力がなかったために、
その後、
また同じ病気が再発したり、
新たな病気にかかってしまって
重症化してしまったり、
結局亡くなられてしまったり・・・
そんな事例も多いそうです。
そうなると
医療関係者のモチベーションを
維持することが難しいんです。
これだけ対策をして治療したのに、
それ以前の問題で亡くなってしまうなんて…
そう、苦悩されてる医療関係者の声を
直に聞いてきました。
だからこそ、
”予防”、”未病” という観点からも
その人自身の戦闘力、
病気を治すために
戦っていく身体を調える
というのが大事だと思うんです。
そのために
必要なものを必要な方に
お届けできる
そんな今のお仕事に
誇りを持っています。
そして、
みんなが ”予防”、”未病” に
真剣に取り組んでくれたら、
患者さんも、
医療関係者も、
周りの人も、
みーんなが
幸せになると思うんですね。
ホンモノのご縁繋ぎ
例え、病気やケガで
重症になったとしても、
そこから早く回復し
苦しまない人が増えれば、
きっと、世の中全てが
元気になってくはずです。
そのために必要なのが
”予防”、”未病” という観点。
今、私が携わっているお仕事で
そういう世界を目指すことができる!
そんな強い信念を持っています。
先ほど、
救急のときのお話として、
その人自身の戦闘力、
つまり、病を治すために
戦っていく力の有無が大事、
とお伝えしました。
もちろん、
それも大事なんですが、
もう一つ、
大切なものがあります。
何だと思いますか?
・ ・ ・
・ ・ ・
それは、
悩みがあったときに
打ち明けることができる
”仲間”なんです。
今、
自ら命を絶ってしまう方が
すっごく多いんですが、
その原因の多くが
”孤独”ということ。
コロナ禍という
不安が広がる世の中で、
孤独になったり、
経済的に悩まれている方が
すっごく多いのが現実。
特に女性は
結婚を機に、
家庭や育児に専念し
働きたくても自信がない・・・
働く方法が分からず
選択の幅が狭まっていく・・・
そんな方も多くいらっしゃるため
一層深刻なんですね。
今、私は
多くの仲間とともに、
本当に良い商品を
必要な方にお届けするために
チームを組んで活動しています。
この活動は、
何も、良い商品を
お届けすることだけが
目的じゃないんです。
ホンモノの”仲間”と出会い、
未来の自分に
自信を持てる人を増やすこと。
そのための環境を整えることも
この活動の大きな目的です。
あなたが
心から安心して、
チームの仲間として
お仕事をしていく体制が
整っています。
ホンモノの商品を
本当に必要な人にお届けする
お手伝いをする・・・
私は、元旦那を応援しようと
今の仕事を始めたのですが、
実は、それ以上に
得るものがあると気付いたんです。
「時間」「お金」
そして「仲間」
今のお仕事を通じて、
これらのものを
同時に手にいれることが
できたんです。
心かよわす
仲間との出会いをいただき、
私がおばあちゃんから
受け継いだ思い…
周りの人を
あかるく、かるく、あたたかく
本当に元気にしていく力を
開花させることができました。
今の私をみたら、
たまちゃんって言われてたのが
???ってなると思います(笑)
それくらい
充実した楽しい毎日を
送っているんです。
ここまで私の話を
聞いてくれたあなたも、
きっと大丈夫です。
もし、仮に、
あなたがツラい毎日を
送っていたとしても、
光がさしてくるときが
必ず訪れます!
もし、
元気がほしいなって人や
私のお仕事に
少しでもご興味がある人は、
一度、
私とお話してみませんか?
あなたの理想の未来を叶え、
幸せになる環境をご用意します!
ぜひ、
お声かけください!
私の地元、佐賀から、
特急かもめに乗って
あなたの元に駆けつけます!
あなたに多くの笑顔が
届きますように。
ここまで聞いてくださり
ありがとうございました!
あなたとお会いできる日を
楽しみにしています!
古賀晶子
- 看護師、保健師
- スキンケアコーディネーター
- 断食指導士、初級心理相談士
- 延べ240回看護師セミナー実施